安全地帯 玉置浩二 研究所

安全地帯 ボーカル 玉置浩二とは


安全地帯 玉置浩二は、1958年9月13日生まれ(血液型 A型)。

 

安全地帯のボーカルであり、作曲、作詞を担当。演奏する楽器は主にギターだが、実は、ベース、ドラムス、パーカッションなども演奏するすることができるマルチな才能の持ち主。

 

民謡の先生であった祖母の影響もあり、幼い頃より歌が上手く、幼少期からすでに歌手になりたいと思っていたほど歌が大好きな音楽人間。玉置浩二にとってまさに音楽は天職と言える。

 

中学時代は、野球部キャプテン、エースで4番でありながら、生徒会長も掛け持ちするような根っからの前に出るリーダータイプ。また同時に、転校してきた武沢豊とアマチュアバンドを組みコンテストにも出場するような器用さとバイタリティーの持ち主でもある。

 

中学卒業後は、高校に進学するも中退し、中学時代より結成していた「安全地帯」のアマチュア活動に本腰を入れる。北海道旭川の廃屋を自分達で改装し、3年間そこでバンドメンバーと共同生活しながら日夜練習に明け暮れていた時期がある。

 

玉置浩二の歌唱力は、プロである数々のミュージシャンや音楽関係者からも絶賛されている日本屈指のシンガーである。また、作曲においては、安全地帯のほぼ全てを担当しているだけでなく、中森明菜のサザンウィンドウや、香西かおりの無言坂などなど、数々の有名アーティストや歌手に楽曲を提供している。

 

玉置浩二は、長い音楽人生の中で、「安全地帯の活動」と「ソロ活動」を交互に繰り返しながら世に素晴らしい音楽を送り出している。安全地帯のグループ活動の中では「恋」をテーマにした作詞作曲、ソロ活動の際には彼の「パーソナルな人間くさい部分を表現した作詞作曲」と分けて制作している。しかし、晩年にはその垣根は低くなってきており、自然に融合された作品も多くなってきている。

 

玉置浩二の音楽に対する姿勢は、いつでも真剣で、とてもまっすぐ。玉置浩二の生活と音楽は密接に絡み合っている。結婚と離婚を繰り返し、そのたびにボロボロな時期がある。ただ、玉置浩二がスゴイところは、自分がどんなにどん底にいてもタダでは起きない。どんな状態であっても音楽と結び付けて、常にそこから新しい音楽を作りあげ作品を発表続けている。

 

玉置浩二の歌う歌、作る曲や歌詞の一言一言に心が動かされるのは、玉置浩二の音楽に対する「真摯な姿勢」に触れるからだろう。

 

安全地帯 玉置浩二は才能の塊!演技力もスゴイ!

安全地帯 玉置浩二の作曲力はピカイチ!

ワインレッドを制作していた時、安全地帯 玉置浩二の才能を認めざるをえない驚くべきエピソードがあります。それは、「ワインレッドの心」を苦戦しながら制作中に、実は、同時に、「真夜中すぎの恋」「マスカレード」「プルシアンブルーの肖像」の別の3曲も制作してしまっていたということです。「ワインレッドの心」を含めると1週間で4曲作り上げていました。しかも、どの曲も安全地帯を代表する素晴らし曲ばかりです。

 

ワインレッドのヒット以降も長きに渡り、次々と自らのヒット曲を制作する傍ら、多くのアーティストに楽曲を提供しています。また、言うまでもなく玉置浩二の歌声は日本一といっても過言ではない。その時々で歌い方や雰囲気が全く違う不思議な魅力があり、ファンだけでなく、多くのプロのミュージシャン達からもその実力が絶賛されています。セクシーかつ、心の琴線にふれる彼の歌声には多くの人が感動し魅了されています。

 

玉置浩二は演技力もスゴイ!

また、俳優としての実力もあり評価も非常に高いです。俳優デビュー作となった『プルシアンブルーの肖像』を皮切りに、映画やドラマなどに多数出演しています。

 

大河ドラマ「秀吉」にも出演しており、室町幕府15代将軍「足利義明」の役を見事に演じ切っています。その演技があまりにも見事で本当にビックリするほどです。

 

 

なんと ゾンビ役までやってます!


玉置浩二 結婚歴 スキャンダラスな人生

玉置浩二は、結婚歴は、今までに4回の結婚をしている。常に何事にも常にまっすぐな玉置浩二は、その時その時で真剣なのである。現在は、4人目の奥さんになる元CCガールズの青田典子さんと共に暮らし安定した生活を送っている。

 

玉置浩二の結婚相手

一人目 (1983年 - 1986年) 一般女性 【同郷の女性】
二人目 (1991年 - 1998年) 薬師丸ひろ子 【女優/歌手】 
三人目 (1999年 - 2007年) 安藤さと子 【キーボード奏者】 
四人目 (2010年 - )     青田典子 【タレント元CCガールズ】 

 

音楽的には本当に素晴らしい玉置浩二であるが、残念なことに女性問題が多く、デビュー当初から女性絡みのスキャンダルが絶えない。20代前半、アマチュア時代より付き合っていた1人目の奥さんがありながら、女優の「石原真理子」(現「石原真理」)との不倫が大きく報道された。

 

玉置浩二の曲は常にスキャンダラスな人生中にある

玉置浩二の長い芸能生活の中では、女性問題だけではなく、度重なる病気との苦悩もある。仕事でのストレスやプライベートでのストレスなどのため、統合失調症や憩室炎などを患い、何度か入退院を繰り返している。

 

心の病の影響などから、ひどい時はろれつが回らないような状態の時もあり、自身のコンサートライブの際に観客一人と言い争いになり、暴言をはいた上、コンサートの途中で中止するという異例の事態を引き起こしてしまい大ヒンシュクをかってしまったという苦い経験もある。(もちろん本人は非常に反省している。)

 

病気の影響で突然仕事に穴をあけてしまうこともあり、FNS歌謡祭で、TOKIOとの共演予定があったものの当日時間になっても現れず、TOKIO長瀬智也が「玉置さ〜ん、まだ間に合いま〜す」などとテレビに向かって訴えたため、すっぽかしが露わになってしまい、これまたヒンシュクをかってしまった。その他のフェスなどでも「当日本当に現れるのか」と周りがヒヤヒヤするような危なっかしさがその頃の玉置浩二にはあった。

 

石原真理による暴露本「ふぞろいな秘密」やその映画化にて、20代で付き合っていた頃のDVや非避妊などについて暴露され、またしても不名誉なことで話題になってしまった。深層は定かではないが、キーボーディストである3番目の奥さん「安藤さと子」との離婚の引き金になったともいわれている。

 

そんな自分の不名誉な暴露本を出した石原真理と再び接触し、石原真理の名前のタトゥーを自分の体に入れ、婚姻届まで出したが、石原真理が海外でしていた結婚の相手と正式に離婚できていなかったため受理されなかった。それを機に最短で破局した。当時のそんな奇想天外でハチャメチャな様子が、「奇抜なへんなおじさん」的なイメージを世間に植え込むことになってしまった。

 

その後、すぐに現在の奥さん青田典子と結婚し世間をアッと言わせた。そして、テレビの前でキスをしたり、2人のベッドシーンを雑誌にのせるという奇抜な行動でますます世間の目は「かわりもの」を見る目になっていく。

 

音楽的には、本当に素晴らし玉置浩二の欠点は、女性関係とスキャンダル!山下達郎がかつてラジオ番組かなにかで、「日本で一番過小評価されているシンガー」だといっているのには妙に納得する。

 

ただし、玉置浩二は転んでもただでは起きない人間。彼の私生活は彼の作りだす歌に直結していると言っても過言ではない。彼はその時好きになった人に向けて曲を作っている。その全ては、その時の玉置浩二にしか作られないものでなのある。

 

いくつになっても飽くなき探求心で、常に変化と進化をし続ける玉置浩二の人生とその時に作り上げる彼の音楽からひと時も目が離せない。

 


安全地帯 玉置浩二の所属事務所は、何度もかわっている!

安全地帯 玉置浩二は、1982年キティレコード (後の、ユニバーサル・ミュージック)でメジャーデビューして以来、「安全地帯の活動」→「活動停止」→「ソロ活動」を繰り返す中で何度も所属事務所を移籍している。

 

1982年 キティレコード (後のユニバーサル・ミュージック)
 ↓     (1992年 安全地帯1回目の活動休止 )
 ↓   
1993年 ソニーミュージック エンターテイメント へ移籍 
 ↓    (玉置浩二ソロ活動へ)
 ↓
1998年 BMGファンハウス へ 移籍 
 ↓    (安藤さと子と軽井沢へ)
 ↓
2002年 ソニーミュージック エンターテイメント へ復帰
 ↓    (安全地帯活動再開)→(2003年いっぱいで再び、安全地帯活動停止へ)
 ↓
2004年 個人事務所 「アンクルオニオン」設立
 ↓    (玉置浩二ソロ活動へ)
 ↓
2005年 ソニーミュージック エンターテイメント へ復帰

 ↓    (玉置浩二ソロアルバムリリース)
 ↓
2010年 ユニバーサル・ミュージック へ復帰
 ↓    (安全地帯再始動)
 ↓
2012年 ソニーミュージック エンターテイメント 自主レーベル「ソルトモデラート」 へ移籍